新 バッハ日記 1

5月10日市ヶ谷ルーテルホールでのバッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会、第1回のプログラムノートから。

新たなる試み、脱ステレオタイプ

随分前からバッハを弾く時に気になっていたことがある。バッハの2番目の妻アンナ・マグダレーナの写譜(以下AMBと記す)をどう理解するかということだ。ご存知のようにバッハの自筆譜は残っていないので、これが現存するもっとも有力な資料であることに異論はないと思うが他にも様々な資料がある。ところが厄介なことにどれも同じようでどれ一つとして同じものはない。特にどの音がどうだとかいう論争はかつてないほど盛んになって来て、収拾がつかないくらいになっている。


だが僕が気になっていたのは様々なヴァージョンの音の違いではない。違うヴァージョンのどの音をどう決定して弾くかという論争は不毛だと思えるからだ。これについては以前にも書いたのでここでは詳しく触れないが、簡単に言ってしまえばどのヴァージョンもそれなりの正当性があって、どれもそれなりに正しいからだ。


ずっと気になっていたことというのは、アーティキュレーション(弓使いまたはスラーの掛かり方)のことである。ある音型をどう弾くかということだ。例えば第1番のプレリュード(以下1Pr.のように記す)の冒頭はパターン化された音型で始まりそのあと何度も出てくる。こういう部分はこれまで普通は、同音型=同弓使いと思っていたし、又ほとんどの演奏も大抵そうである。出版物もほとんどそういう方針で出版している。

ところがAMBの写譜はそうではないのである。歌手ではあったが弦楽器を弾かなかったアンナ・マグダレーナがちょっといい加減に写したんだろうくらいに僕は長い間思っていた。現にスラー記号がどの音からどの音まで掛かっているのか明確ではないところがたくさんあるので、これを真に受けて弾くのはナンセンスだとさえ思っていた。2004年に録音した時はそういうポリシーで弾いていた。


数年前から、バッハはAMBの楽譜を見ながらさらうようにして見た。手稿なのでなかなか読みにくいが、その方がなんとなくバッハにより近づけるような気がしだしたからである。それと同時にずっと気になっていた弓の使い方も書いてあることに忠実に再現してみるとどうなるか試してみるようになった。とはいえ、スラーがどのように掛っているかはある程度想像で考えるしかない箇所もたくさんある。しかしこれがとてつもなく面白い。例えば3Pr.はあるワンパターン化されたボーイングで弾くことがほぼ常識的になっている場所でも、あえて逆らわず、ちょっとヘンテコリンだな、ありえないアーティキュレーションだなと思いながらも取り敢えずやって見たのである。


人の耳というのはいつも聞きなれたものを好む。聞きなれた曲の音をちょっと変えて弾くとそんな音、変だと耳も心も拒否する。ところが耳を虚心にして本当に聞き直してみるとそれもまた違う趣があるのだ。実はこれはジャズの世界では当たり前のことで、ワンパターンはジャズの最大の敵だと言ってもいいのである。


翻って考えるに、バロック時代までの音楽もジャズと同じように演奏者にいつも即興性と創造性が求められたもので、五線譜に最終的に固定され断じて変更してはならないものではなかったのである。要するに作曲は演奏されながら同時に毎回完結されるものであった。現代の音楽教育は楽譜に書いてあることを忠実に再現することを徹底的に教え込まれる。だがこう言った考えは19世紀的というか、近代思想的発想から生まれた作曲者絶対主義的なもので、バロック時代にはそうでもなかったのだ。面倒なことに、バッハの作品の中にも例えば、フーガの技法やゴールドベルグのカノンなどのように1音たりとも変更不可能な曲もある。

しかしバッハの組曲やカンタータなどはそういったものではなく、もっと即興性がより重んじられる音楽だったと思う。


僕はバッハの組曲を絶対普遍の神のような崇高な音楽として神格化する考えにはいささかの抵抗を感じる。もちろんそういう部分もこれらの曲の中に時にはあるとは思うが、神格化されるとなんだかかた苦しい気がする。ちょっと逸脱したり、遊んでみること−即興性−の面白さが無い硬直した演奏をしたくないと思う今日この頃なのだ。

今回と次回のバッハはそういう風なアプローチで演奏する。おそらく今後も。


ところが困ったことが起きた。弦楽器の弓使いというのは体の動きとして記憶されるものなのだということだ。この新しいアプローチはAMBの楽譜を見ていないとすぐ勝手に昔からの体の動きが出てしまう。暗譜で弾く為には体の動きまで覚えなければならないのだ。この原稿を書いている時点で未だに暗譜でこの試みを出来るまでになるかどうか心配なところである。

 

新バッハ日記1

新バッハ日記2

新バッハ日記3

新バッハ日記4

 

 

copyrigt Naoki TSURUSAKI


 

                      

もくじ